マービート君のなんでも掲示板

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The Beatles - Little Girl - マービート (男性)

2026/10/04 (Sun) 06:44:31

先日発表されたビートルズの「Rubber Soulスペシャルエディション」にジョンの未発表デモ音源”Little Girl”が収録されていた。
ジョンにしてはめずらしいタイトルそのままの可愛いらしい曲だった。
ジョンが自分の曲に『la la la…』なんてハーモニーをつけて歌っているのも新鮮で聴いていて心地良かった。
曲の録音時期はおそらく1965年だという。
それを聞いて即座にビーチボーイズを思い出した。

ポールも他のビートルズのメンバーもビーチ・ボーイズの”You're So Good To Me”のコーラスパートが大好きだった。
”Girl”のユニークなコーラスはその影響から生まれたものであるとポールは公認の伝記『Many Years From Now』の中で語っている。

『Many Years From Now』より

ポール「当時、ビーチ・ボーイズに『la la la la』と歌う曲があって僕らはその無邪気な感じが大好きだった。だから真似してみたかった。でも同じフレーズを使うのだけは避けたかった。
それでいろいろ試したら『ディット・ディット・ディット・ディット(Dit Dit Dit Dit)』というフレーズがフィットしたんだ。
そしてそれを『ティット・ティット・ティット・ティット(Tit Tit Tit Tit)』に変えて歌った。音としては『ディット~』とあまり違いはないけどね。その響き(Tit=おっぱい)が面白くてね。」

ビートルズは”Nowhere Man” と”You Won’t See Me”では一転してビーチボーイズのように無邪気に『Ooh La la...』と歌っていた。
その当時、ジョージは”Let Him Run Wild”を深く愛聴しシングルをジュークボックスに入れていたという。
ジョンも”Little Girl I Once Knew”を聴いて大興奮しブライアンの才能をベタ褒めしていた。 
Pet Sounds以前からビートルズにとってもビーチボーイズは無視できない大きな存在だった。

もし”Little Girl”が「Summer Days (and Summer Nights!!) 」より後に作られた曲だったら?
私には”Little Girl”は”Girl Don’t Tell Me”に対するジョンからのアンサーソングのように聴こえて仕方がない。
それとなく曲調も似てるし歌詞も少しだけシニカル。
終わり方も似ている。
ジョンは”Girl Don’t Tell Me”を聴いてそれが自分に対するパロディだと即座に気づいただろう。
そしてそれを面白がって返答したいような気持ちになったのではないか?
しかし自分の硬派なイメージを気にしてボツにしてしまった。
ビーチボーイズバカの戯言かもしれないが、謎だらけの音源にこんな妄想をしてもいいではないか。
であれば夢を見続けたい。
“Little Girl”はジョンからビーチボーイズファンに向けて贈られた最高のプレゼントであると。





The Beach Boys - Heroes and Villains - マービート (男性)

2026/05/07 (Thu) 02:09:26

グッド・ヴァイブレーションズを越える曲として、スマイルの屋台骨になる曲として、ブライアン・ウィルソンが最も情熱をこめて取り組んだ曲。
ボーカルアレンジは複雑でコーラスグループとしてのビーチボーイズの頂点を記録している。
歌詞についてもドラマチックで明快。
ドラッギーなヴァン・ダイク・パークスの歌詞を嫌っていたマイク・ラヴでさえも認めていた。

当時、ビーチボーイズの人気はビートルズに匹敵し、ブライアンには天才の称号が与えられていた。
ナンバーワンヒットになったグッド・ヴァイブレーションズに続く野心的な新作を多くの人々が待っていた。  
そしてヒーローズ・アンド・ヴィレインズはスマイルに先立つシングルとして、ビーチボーイズのメンバー全員が大ヒットを期待しながらレコーディングにのぞんでいた。

スマイルは制作途中にトラックリストが決定していたし、レコードジャケットや豪華なブックレットまで大量に作られていた。
さらにラジオからはプロモーションCMが流れていた。
加えてブライアンにはポール・マッカートニーとの間で互いの新作について交わした約束のようなものまであった。
スマイルはあらゆる意味で発売されなくてはならない作品だった。

しかし、当時のブライアンの精神状態は不安定でドラッグの強い影響下にあった。 
その影響でスマイルの構想は常に広がり続けレコーディングには終わりが見えなかった。
様々な期待が大きな重圧となっていたせいもあるだろう。
ブライアンは創造の絶頂期にありながら、自身が最も情熱を注いだヒーローズ・アンド・ヴィレインズさえ完成できないジレンマに陥っていた。
レコーディングは粛々と続いていたが、そんな終わりの見えない状況に耐えかねてキャピトルは遂に制作中止を要請。
そしてスマイルは幻となった。

1967年7月にまったく新しい形でシングルでリリースされたヒーローズ・アンド・ヴィレインズについて、当時のアル・ジャーディンはこう語った。
「このシングルにはがっかりした。突飛なコードを満載したオリジナルに比べたら色褪せたコピーのようなものだ。ブライアンは意図的に過少プロダクションのままこの曲を放り出した。」のだと。

ビーチボーイズをよく知るファンであれば、アルの意見に同意するだろう。
思えばカール・ウィルソンもスマイリー・スマイルを評して「みんなが満塁ホームランを期待しているときに僕らはバントをしたのさ。」と語っていた。
スマイリー・スマイルではスマイルのオリジナル音源のほとんどが封印されていた。
スマイルに収録予定だった曲はリメイクされて中には不気味とも思えるアレンジが施されたものまであった。
カールの言葉どおり確かに意図的にスケールダウンを狙っているかのようだった。

スマイリー・スマイルには他にも謎がある。
スマイルがビーチボーイズらしくないというなら、スマイリー・スマイルにもビーチボーイズらしさはなかった。
あるいはスマイリー・スマイルの方がよりアヴァンギャルドで奇妙な風にさえ感じてしまう。
(私はそんなスマイリー・スマイルを深く愛している。)
ビーチボーイズにスマイリー・スマイルをリリースできる度量があるのなら、スマイルを封印すべき理由を見つけることができない。

だからこう思う。
ブライアンはスマイルを決して諦めてはいなかったと。
当時発表したスマイリー・スマイルやヒーローズ・アンド・ヴィレインズは来たるべきスマイルの予告編だった。
それ故にスマイルのオリジナル音源の多くは封印され、違うアプローチでリメイクされていた。
そう考えれば不可解だったことすべてに腑が落ちるのだ。

しかし、ブライアンはスマイルの音源に再び近づくことを恐れ続けてもいた。
そんな状況に仕方なく他のメンバーはブライアンの承認を待たず、少しずつスマイルの音源を発表していったのだろう。
それ以後もスマイルの公式リリースの噂は消えることはなかったが夢はかなわなかった...
それから長い時間が過ぎた。
2004年になってブライアンはスマイルに見事な決着をつけた。
長年の苦悩から解放されたブライアンは輝いていた。
とても幸せそうだった。
 
私自身も深く感動したが一方では少し寂しくもあった...
ヒーローズ・アンド・ヴィレインズを聴いたときは特にそうだった。
新たに甦ったヒーローズ・アンド・ヴィレインはダリアン・サバナジャがライヴを前提に再構築したものだ。
ブライアンの構想とは違うものだと直感でわかった。
ライヴでは素晴らしく思えてもアルバムでは違和感があった。
さらにビーチボーイズの公式版スマイルでもそのアレンジは転用された。
そして今ではそれが決定版としてスタンダード化されてしまった。  
それがブライアンの承認を得たものだとしても寂しい気持ちはどうしても消えない。

幸い残された音源を元にしてヒーローズ・アンド・ヴィレインズに想像をめぐらせることはできる。
10年ほど前にも試みたが、改めてヒーローズ・アンド・ヴィレインズに思いを馳せてみた。
音源は最後の蛇足的シークエンスに僅かに流れるBGMのみAIを使用。
その他はすべてビーチボーイズのオリジナル音源。
(一部では音源を少し重ねています。)

動画はAIで作成したので不自然なパートも多々あり。
動画内ではマイク・ラヴをお尋ね者の悪役Jake ”The Devil” McCreedyと表現しているが深い意味はなし。

マイクはビーチボーイズの堂々たるフロントマン。
ブライアンはその声を深く愛し、マイクをビーチ・ボーイズのリード・シンガーに据えた。  
その声はまさにビーチボーイズの象徴であり、ブライアンの声との相性もぴったりだった。
二人はビーチボーイズにおける陰と陽。
両者の対比はビーチボーイズにさらなる奥行きをもたらした。
それを否定するならビーチボーイズの面白さに気づいてないか、あるいは音楽をよく聴いてない。
そのどちらかだと思う。

スマイルにおいてもマイクはブライアンの期待に応える最高のパフォーマンスを残してくれた。
どんなに歌詞に懐疑的であっても完成を目指してレコーディングを続けていた。
“スマイルはマイクが嫌ったから完成しなかった。”
ブライアンがそう語っているのは知っている。
確かにそういう一面もあっただろう。
ただしブライアン自身にとってもスマイルが重荷のようになっていたのも事実だ。
ある意味、マイクはスマイルの崩壊という十字架をブライアンやヴァン・ダイク・パークスと共に背負っていたのだと思う。

スマイルは完成まであと一歩のところまで来ていた…
「ブライアンはアタマの中で鳴り響いてる素晴らしい音楽について話し続けていたのにそれを取り出せなかった。」
そう語ったのはブルース・ジョンストンだった。

こと音楽に関してブライアンは絶対に妥協しない男だ。    
ペット・サウンズがそうであったように明確なビジョンさえあれば、目の前にどんな壁があろうと、誰に何を言われようが前進しただろう。
驚くべき統率力でスマイルをも完成させたはずだ。    
強く強調しておきたい。
ブライアンのミュージシャンとしての熱い情熱、力強さを決して過小評価してはならないと。
スマイルの失われたピースはブライアンの見た幻覚の中にあった。
それ故に幻覚から覚めたとき音楽も幻想になった。
当時の状況を考えれば、すべて避けられない運命だったのだろう。

スマイルが公式に発表されて大きな決着はついた。
しかし未だに行方不明になったままの音源もある。
ヒーローズ・アンド・ヴィレインズやスマイルをめぐる検証はこれからも続いていくだろう。
未完に終わったガウディの壮大なサグラダ・ファミリアのようにそれは終わることのない伝説なのだ。


謹賀新年 - マービート (男性)

2026/01/02 (Fri) 10:29:00

本年が良い年でありますように

Brian - マービート (男性)

2025/06/13 (Fri) 05:18:32

遂にこのときが来てしまいました…
去年にメリンダさんが亡くなった直後からブライアンは明らかに衰えていました。
その後は親族に囲まれて穏やかに暮らしていたようで少し安心していたけれど…
ブライアンは認知症を患っていながら、それでも音楽に対する感性だけは衰えていなかったそうですね。 
つい最近にはレコーディングスタジオで撮られた元気そうな写真までありました。
もしかすると再び何かやってくれるのか...とさえ思っていました。

昨夜のニュースステーションで3分近くブライアンの追悼ニュースが流れました。
どんなに信じたくなくても、これは現実なんだ…とそのとき身に染みて思いました。
そして同じニュースの中で世界中で起きている悲しい事故や忌まわしい事件の映像を見ました。
カリフォルニアでの暴動もあちこちに飛び火しています。

ずっと涙は出なかったけどブライアンの歌っていたラヴ・アンド・マーシーを思い出してどうしようもなく泣けてきた…
ブライアンの残してくれた歌や音楽はやっぱり今も生きているんだなぁ…
ブライアンが亡くなっても音楽でいつも会えます。
今まで以上に存在を身近に感じます。


Derek & The Dominos - Roll it Over - マービート (男性)

2025/01/26 (Sun) 05:01:48

自由気ままな風来坊デイヴ・メイスン。
日本大好きエリック・クラプトン。
二人は同世代の英国人で名ギタリスト。
ヴォーカリスト、ソングライターとしても魅力的な似た者同士。
デイヴ・メイスンはあのデレク&ザ・ドミノスの結成当初のメンバーでエリック・クラプトンと双璧を成す花形ギタリストとしてステージで活躍していました。
(しかし元来の放浪癖により、あっという間に脱退してしまいます。)(≧∇≦)
今回はそんな二人が在籍したデレク&ザ・ドミノスに絡んだあれやこれやの戯言です。

1970年6月
デラニー&ボニーのバックバンドとして共演していたエリック・クラプトン、デイヴ・メイスン、ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードンの5人。
彼等は同じくデラニー&ボニーのライヴで共演経験があるジョージ・ハリスンの依頼を受けてアルバム『All Things Must Pass』のレコーディングに参加しました。
このときの再会で意気投合した5人はスーパーバンド、デレク&ザ・ドミノスを結成。
『All Things Must Pass』のセッションの合間を縫ってアップルスタジオで”Tell The Truth”、”Roll It Over”の2曲をレコーディングしました。
エリック・クラプトンの希望により両曲共にフィル・スペクターがプロデュース。
ジョージ・ハリスンも特別参加で”Tell The Truth”でエレクトリックギターを弾き、
”Roll It Over”ではスライドギターとバックヴォーカルを披露しています。

そのときレコーディングした2曲はデレク&ザ・ドミノスのデビューシングル
A面 ”Tell The Truth”/ B面 ”Roll It Over”としてリリースされました。
しかし「”Tell The Truth”のテンポが性急すぎて歌詞が空回りして聴こえる」という何を今さらなバンド側のクレームによって発売中止になっています。
そんな無茶が容認された理由はレコード会社の管理者ロバート・スティグウッドがデレク&ザ・ドミノスのマネージャーを兼任していたことが大きかったようです。
このシングルはデレク&ザ・ドミノスの幻のデビューレコードとして今もってマニアから注目されています。

デイヴ・メイスンの脱退後、デレク&ザ・ドミノスは暫定的にメンバーになったデュアン・オールマンと名プロデューサーのトム・ダウトを迎えて”Tell The Truth”を再レコーディング。
アルバム『 Layla and Other Assorted Love Songs』に収録しています。

Tell The Truth (2nd Version)



お蔵入りは免れないだろうと思われたフィル・スペクター版 ”Tell The Truth”は1972年発売のエリック・クラプトンの2枚組ベストアルバム『History Of ERIC CLAPTON』に堂々と収録されました。
この転んでもただでは起き上がらないしたたかさ、流石はロバート・スティグウッドというべきか。(≧∇≦)
あるいはエリック・クラプトン自身も言うほど嫌っていなかったのかもしれません。
実際、当初の ”Tell The Truth”にはアイク&ティナ・ターナーの”River Deep, Mountain High”を彷彿とさせる野獣のような熱いグルーヴがありました。
抑えきれない情熱がレコードからほとばしるようなバージョンでした。
フィル・スペクターは素晴らしい仕事をしたのに不運でした。

Tell The Truth (1st Version)



とばっちりを受けたB面曲 “Roll It Over” はデレク&ザ・ドミノスのライヴ、エリック・クラプトンのソロライヴの両方で演奏されている彼等にとってもお気に入りの一曲。
しかし長年に渡ってスタジオ音源は未発表でした。
そんな状況を貪欲な海賊盤業者が見逃すはずもなく、ジョージ・ハリスンが共演している経緯からビートルズのブートレッグに収録されたこともあります。
私自身、学生時代に買った『Four Side of The Circle』というブートレッグでそのスタジオ音源を初めて聴きました。
ただそのブートレッグには “ジョージが参加している”ということしか情報が書いていないのでそれが誰の曲なのか?
誰が歌っているのか?など全くわからず。
ただジョージのものと思われるギターの音色、バックコーラスになんとなくビートルズの面影を感じたような気がしました。
それだけジョージがビートルズの中で果たしていた役割、存在感も大きかったんだなぁ…としみじみ思いました。
そんな感じでジョージをきっかけに聴いているうちに好きになった曲です。
”Roll It Over” には燻し銀のような魅力があります。
フィル・スペクターらしからぬシンプルなプロデュースもクールだし、
デレク&ザ・ドミノスの代名詞、エリック・クラプトンとボビー・ウィットロックのツインボーカルも決まってます。  
最後に炸裂するエリック・クラプトンの燃え上がるようなギタープレイもヨシ!!
公式に発表されたのは1988年。
エリック・クラプトンの全キャリアを振り返ったボックスセット『Crossroad』でようやく初収録されました。

Roll it Over


 
written by Eric Clapton & Bobby Whitlock

Eric Clapton - lead vocal, electric guitar
Bobby Whitlock - keybord, backing vocal
Carl Radle - bass
Jim Gordon - drums
Dave Mason - electric guiter
George Harrison - slide guiter, backing vocal

produced by Phil Spector

released in September, 1970.

この当時のエリック・クラプトンは“Clapton is God”と呼ばれ神格化されている状況、
自分のギタープレイばかり注目されることに辟易していました。
冗長なギターのインプロヴィゼーション(即興演奏)にしても周囲の期待から止むなくやっていたに過ぎません。
そんなことより重要なのは音楽であり、ただその音楽にふさわしい演奏をしたいと願っていました。
レコード会社はそんな意を汲んでデレク&ザ・ドミノスがエリック・クラプトンの在籍するバンドだとは宣伝しませんでした。
その結果、アルバム『 Layla and Other Assorted Love Songs』は期待されたほどの売り上げにならず、
シングルカットした不朽の名曲”Layla”でさえリリース当時はヒットを逃しました。
(但し後半のピアノパートをすべてカットしたエディットバージョンでした。このシングルこそ中途半端で却下されるべきだった。)
さらに音楽を通してパティ・ボイドに伝えようとした熱い思い、愛の告白も実を結ぶことはなく、
たくさんの葛藤の中でエリック・クラプトンは”レイラは死んだ”と嘆きました…

その上、追い討ちをかけるように幼い頃に両親に捨てられた彼を育ててくれた祖父の死去、
特別な親友だったジミ・ヘンドリックスの急死という悲劇も重なりました。
それでも頑張ってデレク&ザ・ドミノスとしての活動を続けていましたが、
1971年10月、デュアン・オールマンのオートバイによる事故死が何もかもを打ち砕きました。
デュアン・オールマンはすでにバンドを離れてはいましたが、エリック・クラプトンにとっては兄弟のような存在でした。

その後、数年に渡ってエリック・クラプトンは酒とドラッグに溺れてしまいます。
これにより制作途中だったセカンドアルバムは完全に破棄されてデレク&ザ・ドミノスは消滅の道を辿りました。 
デレク&ザ・ドミノスが存在したのは実質一年足らず。 
それでもたくさんの名曲、名演を残してくれたことに感謝したいです。

最後にメンバーのその後と近況について

ドラマーのジム・ゴードンはカリフォルニア出身でハル・ブレインの元で指導を受けてプロのドラマーになっています。      
ハル・ブレインとは師弟関係であり、かってはレッキングクルーの一員として活躍していました。
従ってビーチボーイズの印象的なレコーディングセッションに幾つも参加しています。
“I’m Waiting for the Day”では響き渡るティンパニの影でハル・ブレインに変わってドラムを叩きました。
その演奏を聴くといつも嬉しくなります。
“God Only Knows”でパカポコと鳴り響く独創的なパーカッションの音色はジム・ゴードンがプラスティック製オレンジジュースのカップを叩いて出しているものです。
(だからこそよけいに切なく聴こえる… )
”Good Vibrations”のマスターテイクとなったシングルバージョンにはハル・ブレインとジム・ゴードン、二人のドラムパートが混在しています。
ドラムレスの”Cabinessence”ではスティック型タンバリンで参加。 
“Who Run the Iron Horse”パートではカンカンと鳴り響く踏切を模したベルの音、
”The Grand Coulee Dam”パートでは神秘的なベルの音色を鳴り響かせています。 

他にも“Heroes and Villains”のシングルバージョン、“Fire (Mrs. O'Leary's Cow)”、
“Do You Like Worms”、“Barnyard”、”The Old Master Painter “、“I Wanna Be Around / Friday Night”など...

ジム・ゴードンがビーチボーイズに貢献した曲はたくさんありますが、ドラマーとして最も印象に残る演奏は何と言っても“Fire (Mrs. O'Leary's Cow)”に尽きるでしょう。
あの呪術的で力強いドラミングは曲に魂を吹き込んでいるようでした。
ビーチボーイズに限らず、ジム・ゴードンには有名ミュージシャンとの素晴らしい共演が他にも山ほどあります。
ジョン・レノンやジョージ・ハリスンとの共演も印象的でした。
ドラマーとしてだけでなく”Layla”で弾いた美しいピアノも忘れることができません。 

しかし、彼はひそかに心の病に蝕まれ重大な精神疾患を患っていました。
そして1982年、自分の母親を殺してしまうという取り返しのつかない悲劇を起こしてしまいました…
その事件により懲役16年の判決が下されると、カリフォルニアの医療刑務所に収監されています。
悲しいことに刑期が終了しても病いが完全に回復することはなく、
結局そこから一度も解放されることがないまま、2023年に息を引きとりました。
それは41年間にも及ぶ気の遠くなるほど長い収監でした。
享年77歳、ジム・ゴードンの安らかな冥福を願わずにはいられません…

スーパートランプのジョン・ヘリウェルの兄貴のような風貌のベースプレイヤー、
カール・レイドルも凄腕セッションミュージシャンとしてボブ・ディラン、ザ・バンド、レオン・ラッセル、ジョー・コッカーなど多くの有名ミュージシャンと共演しました。
彼はデレク&ザ・ドミノス解散後もメンバーの中で唯一、エリック・クラプトンと良好な関係を保ち続けた人でした。
1970年のソロデビューアルバムから1978年の『Backless』まで、すべてのクラプトンのアルバムのレコーディングに参加しています。
そのことから温厚な性格が偲ばれますが…
彼もまた1980年に37歳という若さでドラッグとアルコールの過剰摂取で急死してしまいました。

エリック・クラプトンと並んでデレク&ザ・ドミノスの中核的存在だったボビー・ウィットロックは元々はソウルミュージックの世界で活躍した人でした。
デレク&ザ・ドミノス解散後はローリング・ストーンズやプラスティック・オノ・バンドのアルバムなどに参加。
その活動と並行して印象的なソロアルバムを幾つも発表しています。
デラニー&ボニーのように奥さんと二人でユニットを組んで『Layla and Other Assorted Love Songs』を再現した興味深いライヴアルバムなどもありました。
嬉しいことに彼は76歳になった今も変わらず元気に活動しています。

風天の風来坊ことデイヴ・メイスン。 
過去のトラフィック時代にはジム・ゴードンとは同じバンドメンバーでした。
デイヴ・メイスンはデレク&ザ・ドミノスを脱退後、ソロアーティストとして本格的に活動を開始しました。
その華々しいキャリアは書きあらわすのもしんどいほど…
今回、あえて特筆するとすれば…
去年の夏にビーチボーイズと一緒にジョイントツアーを行ったことです。
これはアメリカ限定のイベントで日本では何ひとつとして話題にも上がりませんでしたが(≧∇≦)
この夢のような共演をぜひ見たかったです。
78歳になった今でもその声の響き、ギターの音色は変わっていません。
今年も変わらず元気に活躍してくれるでしょう。

ビーチボーイズとデイヴ・メイスンには過去に面白い因縁もありました。
それは1979年の青春コメディ映画「Skatetown, U.S.A.」のタイトルソングの座をめぐって密かに競い合ったエピソードです。
デイヴ・メイスンは "Main Theme", "I Fell in Love"というタイトルの2曲を映画会社に提出し、
ビーチボーイズはマイク・ラヴとアル・ジャーディンが共作した未発表曲 ”California Beach”を改作したその名もズバリ”Skatetown, U.S.A.”という曲を提出しました。
選考の結果、タイトルソングに選ばれたのはデイヴ・メイスンの"Main Theme"でした。
映画公開に際して”Main Theme”はタイトルを”Skatetown, U.S.A.”に変更。
競り負けたビーチボーイズの”Skatetown, U.S.A.”の立場はさらに悲しいものになりました。
デイヴ・メイスンはもう一曲の "I Fell in Love"と自身の代表曲のひとつ”Feelin’ Alright”の新録音まで映画に採用されています。
そればかりか本人役で映画自体にも出演するなど、ぶっちぎりの大勝利でした。
かくしてビーチボーイズの手掛けた”Skatetown, U.S.A.”は映画のサウンドトラックに収録されることもなく、
”California Beach”もろとも歴史の闇に葬り去られました… (//∇//)

”California Beach”は2019年にマイク・ラヴがアルバム『12 Sides of Summer』の中でカバーという形で救い出してくれました。



”Skatetown, U.S.A.”についてはこちらの動画で19:34より聴くことができます。



曲のムードはマイク・ラヴとアル・ジャーディンの二人が同じく共作した”It’s a Beautiful Day”のプロトタイプという感じ。
どちらの録音が先なのでしょうか。
”It’s a Beautiful Day”の前だとしたら興味深いし、後だとすれば完全な二番煎じという感じ。(≧∇≦)

再び話を戻します。
前述したようにデレク&ザ・ドミノスの解散後、
エリック・クラプトンは数年に渡って酒とドラッグに溺れていました。
そんな状況を見かねたザ・フーのピート・タウンゼントの呼びかけで集まった音楽仲間たちに支えられて見事にカムバックを果たしましたが、その後もたくさんの悲劇に見舞われています。
奔放過ぎた女性遍歴もその深い悲しみ故だと思えるほどに…

もうすぐ80歳の誕生日を迎えるエリック・クラプトン。
つい先日、1月24日には6年ぶりのスタジオアルバム『Meanwhile』が発売されたばかりです。
今年4月には通算24度目になる来日公演も行ないます。
人生の危機を何度も乗り越えて、今も熱い情熱で進み続けるその姿には感動する他ありません。



『All Things Must Pass』に収録されたApple Jamより

Plug Me In / Thanks For The Pepperoni
1970年7月1日
アビイロード第3スタジオで録音

Eric Clapton : electric guitar
Dave Mason : electric guitar
George Harrison : slide guitar
Carl Radle : bass guitar
Bobby Whitlock : piano
Jim Gordon : drums





結成直後のデレク&ザ・ドミノスとジョージ・ハリスンによる激しいジャムセッション。
真ん中で聴こえるギターがジョージ・ハリスン、右側がデイヴ・メイソン、
そして左側がエリック・クラプトンという布陣。
デイヴ・メイソンとエリック・クラプトンのギターバトルが熱過ぎます。
(デイヴ・メイスンにはもう少しデレク&ザ・ドミノスにいて欲しかった…)(≧∇≦)

おまけ  

Good Vibrations

First Bridge:( recorded May 4th, 1966 at Western Studios)

Al Casey and Jerry Cole: rhythm guitars
Paul Tanner: electro-theramin
Al de Lory: tack piano (two)
Jim Gordon: drums, sleigh bells
Frank Capp: bongos with sticks, tambourine
Tommy Morgan: juice harp
Hal Blaine: tambourine
Ray Pohlman: four-string bass
Bill Pitman: six-string bass
Jimmy Bond: upright bass
Bass harmonica: Tommy Morgan
Jay Horn: piccolo
Flute: Jay Migliori
Steve Douglas: tenor flute
Bill Green: bass saxophone

冒頭でブライアンがジム・ゴードンのことを”ジミー”と呼んでるのが聞こえます。



Good Vibrations

Third Verse and Chorus Fade (recorded May 27th, 1966 at Western Studios:)

Carl Wilson: Electric rhythm guitar
Paul Tanner: electro-theramin
Mike Melvoin: piano (2x)
Jim Gordon: drums
Gary Coleman: tympanis, sleighbells
Bill Pitman: 6-string bass
Lyle Ritz: upright bass
Arthur Wright: 4-string bass
Bill Pitman: 6-string bass
Lyle Ritz: upright bass
Emil Richards: vibraphone
Plas Johnson & Jim horn: piccolos
Steve Douglas: flute, tambourine
Jay Migliori: flute




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