マービート君のなんでも掲示板

47388
名前  性別:
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
アイコン
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Kandy - King of Kung Fu マービート (男性)

2024/03/03 (Sun) 19:19:29

心痛むことが多い年始になりました...
昨年末にジェフリー・フォスケットが亡くなり、 
先日にはブライアンの奥さんメリンダさんまで…
災害に事故、広がり続ける戦争、消えることのない悲しみ、憎しみ…
私事でも94歳になる母の介護と勤務の両立で時間が飛ぶように過ぎていきます。
しかし、どんなに厳しいことがあってもネヴァー・ギブアップ! 
ネヴァー・サレンダー!! 前を向いてヨシ!!
遅くなりましたが本年もマイペースにやっていきます。

2024年は龍の年。龍はドラゴン!
ドラゴンと言えば、孤高の武道家ブルース・リーをおいて他になし!
アチョ〜〜!!
というわけで(はぁ?)今年最初の戯言はブルース・リーです。

時は1974年。
映画「燃えよドラゴン」の大ヒットでブルース・リー旋風が吹き荒れた年。
当時、7歳(小学3年生)だった私はブルース・リーについて、なんとなく奇声を上げるヌンチャク男ぐらいに思っていました。
そんな中で父が「ドラゴン怒りの鉄拳」のシングルレコードをプレゼントしてくれました。
どうせなら欲しかったオモチャの方がいいのに...と少し戸惑いながらレコードを聴いてみました。
すると音楽のかっこよさにビックリ!!
レコードA面 の”怒りの鉄拳のテーマ”はとても勇壮な力強い曲でした。
そして最初から最後までブルース・リーの奇声のオンパレード!!
人間離れしたその阿鼻叫喚はハイテンションの宇宙人か怪人が叫んでいるように聴こえました。
レコードの解説でもその声は”怪鳥音(グワイニャオン)”と書いてあり怪しさ全開!!
この絶叫怪鳥男(ブルース・リーのこと)は只者ではないぞ!と思い知らされました。 
一転してレコードB面はまったく違うムードの切なく美しい”愛のテーマ”でした。
聴いていると自然に映画の切ない情景が浮かんできました。

その後、しばらくして「燃えよドラゴン」を兄と一緒に観に行きました。
実際に動いているブルース・リーを観た衝撃は言葉にはできません。
映画が終わった後も椅子から立つことさえ忘れていました。
兄も同様に感動したようです。
しばらくして我に帰り、自宅に戻ってすぐ二本のサランラップの芯を繋いで作ったペラペラのヌンチャク、
アルミホイルを指に巻いたインチキ鉄の爪で燃えよドラゴンごっこをやりました。
しかし、そんな子供騙しをやっても虚しさが募るだけ...
その後、貯金していたお年玉と貯金箱のお金をすべてはたいて少年ジャンプに載っていた怪しげな通販広告からヌンチャクや関連する書籍、
功夫着に功夫シューズ、死亡遊戯の黄色いトラックスーツなどを少しずつ購入していきました。

兄と共同で使っていた勉強部屋は壁から天井の一面すべてブルース・リーのポスターや切り抜きで埋め尽くした狂気の部屋に変わっていきました。
毎日、ブルース・リーのレコードを取り込んだカセットテープを流しながら筋トレをやり、
私は中国拳法、兄は蟷螂拳を学ぼうと教則本を買って熱心に読み、構えや動きを競って覚えようとしました。 
当時、ブルース・リーが考案した截拳道(ジークンドー)に繋がる唯一の糸口だった「截拳道講座」という通信教育があるのを知ってからはそれもやってみました。
但し、それは数枚の演武写真と漠然とした説明文で記された理解しづらいもので、当初のブルース・リーのように強くなる!!という燃えるような情熱は少しずつ冷めていきました...

それでも小学校を卒業して中学に入ってもブルース・リーに対する思いだけは変わらず、ブルース・リーはどうして死んでしまったのかをぼんやりと憂い、
納得できない形で公開された映画「死亡遊戯」に新たなストーリーと架空の敵を追加した漫画を一生懸命に描いてみたり。
(当時はスターウォーズにもはまっていたので宇宙ものの漫画も書いていました。)
勉強は一切ほったらかして、そんなことばかり夢中でやっていました。
今、当時を振り返っても後悔などありません。
今でもブルース・リーは私にとって特別な存在。揺るぎない心の支えだからです。 

Kandy ‎– King Of Kung Fu
(music from the soundtrack of the film “The New Game of Death”)
released in 1975



ドイツを拠点に活動していたKandy というユニットによる曲。 
映画「新・死亡遊戯/7人のカンフー」の主題歌になっていました。
この映画は本家の「死亡遊戯」が公開される前にストーリーだけを先に引用し、大急ぎで制作公開された火事場泥棒のような映画です。
しかも主演は”ブルース・リィ”という詐欺のような名前の俳優が演じている突っ込みどころ満載のとんでも映画でした。
このタイトルと俳優の名前で本物と間違えて映画館に行った人もきっといるのではないでしょうか。
まぁそのあたりはどうにか許せるとしても、この映画のせいで本家の「死亡遊戯」の制作が暗礁に乗り上げ大幅なストーリー変更まで余儀なくされました。
この映画さえなければ、もっとブルース・リーの原案に近い形で「死亡遊戯」は制作されていたに違いありません。
そういう意味で許し難い思いがある映画なのですが、この主題歌 ”キング・オブ・カンフー”だけはずっと素晴らしいと思っていました。 
今でもこの曲を聴くと血が騒ぎます。



昔、流行った格闘ゲーム「バーチャ・ファイター」のキャラクター、 
パイ・チェンが勝負に勝利した際に ”あなたには功夫(クンフー)が足りないわ!”と決めゼリフを言うシーンがありました。
少し違和感を感じるそのセリフこそ、実は本来の意に沿っています。

”カンフー(功夫 Kung Fu)”とは本来、“時を経た修練によって研鑽された技や強さ”のことを意味する言葉。
生涯に渡って技を磨き鍛え続けて王者のようになったブルース・リーはまさに正真正銘の ”キング・オブ・カンフー”!!  

そしてまたこうも言えます。
無数の流派を持つ中国拳法を総じて“カンフー”と呼ぶようになったのは「燃えよドラゴン」以降、 
すなわちブルース・リーによる影響が極めて大きかったからです。 
そういう意味でも截拳道の創始者ブルース・リーを”カンフーの王者”と呼ぶのもまたヨシ!!!!

ブルース・リー!ヨシ!!!!!



1964年8月
ロサンゼルスのロングビーチで行われた第1回国際空手選手権。
その大会に特別ゲストとして招かれたブルース・リーは観客の度肝を抜くようなデモンストレーション演武を披露しました。
観客の中にはTVプロデューサーや映画関係者の姿もあり、この出来事をきっかにブルース・リーはハリウッド進出の足掛かりをつかむことになりました。
その後は正式にオーディションを経て幾多のTVドラマに出演。
みずからの道場 “振藩國術館 (Jun Fan Gung Fu Institute)”を開設する傍ら、ハリウッドの著名人に武術指導の個人レッスンも始めるようになりました。



目まぐるしい生活の中でブルース・リーはロサンゼルス各地を転々と移住していました。
1967年にはホーソーンにあるビーチボーイズのウィルソン・ファミリーの実家から徒歩で行き来できるほどの近くに暮らしていました。
1968年になると妻のリンダさんを連れてベルエアの高級住宅街に移住するのですが、
奇しくもまったく同じタイミングでブライアン・ウィルソンも当時の妻マリリンを連れてベルエアに移住しています。
ブライアン・ウィルソンとブルース・リー。
まったく両極端な世界に生きる二人がもしかすると同じ街のどこかで擦れ違い、
知らぬ間に顔を合わせるような場面があったのかもしれません。
そう思うと楽しいですね。
両者の大ファンとしてきっとあったに違いない!と思いたい。

もうひとつ。
ブルース・リーとビーチ・ボーイズには重すぎる共通項があります。
それはチャールズ・マンソンという悪魔に纏わる因縁です。
ブルース・リーはロマン・ポランスキーとシャロン・テート夫妻にも武術指導を行なったことがありました。
夫妻の自宅(以前にテリー・メルチャーが住んでた家)がベルエアにあったこともあり、
あの忌まわしい事件当時もブルース・リーと夫妻は親密な交友関係が続いていました。



1969年8月9日
犯罪史上に残る残虐な殺人事件が起こった日。
ロマン・ポランスキーは映画撮影のために海外にいて難を逃れています。
当時考えたことを後にこう振り返っています。
”もしこの犯行が単独犯の仕業だとすれば、多くの相手を殺傷できる凄まじい攻撃能力を持った者。
同時に凶器の扱いにも長けた者に違いない”と。 

事件後しばらくの間、警察の捜査でも犯人の正体を掴めず。
物的証拠は犯行現場に残された眼鏡ぐらいのものでした。 
そんな状況の中、ロマン・ポランスキーはブルース・リーがそれと良く似た眼鏡をなくして探していることを聞いて驚愕します。
そして様々な要因の一致からブルース・リーが凶行の犯人ではないか?と本気で疑うようになりました。
その結果、ブルース・リーに対して内密の捜査まで行っています。
やがて疑いは晴れますが、その間にはブルース・リーの仕事にも好ましからぬ影響が生じていたようです。

生前、この事件に関してブルース・リーは何ひとつ語っていません。
しかし、大きな心の痛手であったはずです。
なぜならば、仲の良かったシャロン・テートはもちろん、
マンソン・ファミリーによって殺害された一人、ジェイ・セブリングもあの国際空手選手権大会の演武を見て以来のブルース・リーの親友でした。
そしてジェイ・セブリングこそは、ブルース・リーがハリウッドで活躍する橋渡しと後押しをしてくれた最大の恩人だったからです。

長年に渡ってファンの間ではこう思われてきました。
もしブルース・リーがあの犯行現場に居合わせていたとすれば、
間違いなくマンソン・ファミリーの全員を叩きのめしていたはずだと。
私も強くそう思います。



話題を少し変えます。 

ビーチボーイズはデビューシングル”Surfin’”をヒットさせた直後、
“カラテ!”と叫ぶ奇妙なインスト曲をレコーディングしています。
作曲者はカール・ウィルソン。
レコーディングは1962年2月8日のみ。
テイク2までやって、その後はまったく取り上げられることなく長年未発表で放置されました。
手書きのスタジオセッションシートには綴り違いで”Karote”、
マスターテープには”Karate”、”Beach Boys Stomp”という2つのタイトルが並記して書かれています。
タイトルも正式に決まってなかったようです。

どうしてビーチボーイズが空手なのか? 
サーフィンを歌にしたように、新たな波として空手を取り上げたのでしょうか?
カールの身近に空手をやる知り合いがいたから? 
空手をやっていたエルビス・プレスリーの影響?
長年に渡って少し不思議に思っています。
どうせなら ”Karate”ではなく”Kung Fu”だったら良かったのに。
なんて思うのは、地球上で私ただ一人だけでしょう。笑



ブライアンが前触れなくエルヴィスに空手チョップしたエピソードを語っています。
やっぱりマイクと一緒のときがブライアンは一番自然体!
一番リラックスしてるなぁ。^ - ^

幻の共演 - マービート (男性)

2023/05/11 (Thu) 03:47:37

フェイスブックのコミュニティ記事より転載いたします。

『George Harrison Wanted To Collaborate With Brian Wilson But Eugene Landy Wouldn’t Have Allowed It 』

According to Brian Wilson himself in a 1988 interview, George Harrison approached Eugene Landy about collaborating with him when they both attended the Rock And Roll Hall Of Fame in the same year as inductees.
Brian obviously was very excited at the prospect of it happening but as history proves it never came to fruition. That shouldn’t be too surprising since Landy wanted complete control of everything at the time and I doubt very much that George Harrison would have allowed any musical input from the likes of a Eugene Landy on any project he was a part of.
It definitely would’ve been interesting what George and Brian may have come up with. Especially since it would have been a great selling point of Brian’s 1988 solo album to promote a George Harrison collaboration.
Then again Eugene Landy was in such control of Brian’s career I’m sure he would’ve found a way to sabotage any creativity that would’ve taken place.

By 1988 George was not just a musical legend but a relevant superstar with the tremendous success of his “Cloud Nine” album, and the birth of his Supergroup known as The Traveling Wilburys.
It’s a shame a collaboration between both Harrison and Brian Wilson never took place. Just one of many examples why Brian’s solo career in 1988 never stood a chance.

#beachboysbeatles101

以下 自動翻訳

『ジョージ・ハリソンはブライアン・ウィルソンとコラボしたかったが、ユージン・ランディはそれを許さなかった』

1988年のインタビューでブライアン・ウィルソン自身が語ったところによると、ジョージ・ハリスンは同じ年のロックンロール・ホール・オブ・フェームに出席した際、ユージン・ランディに協力を打診したという。
ブライアンは明らかにそれが起こるという見通しに非常に興奮していましたが、歴史が証明しているように、それは決して実現しませんでした。当時、ランディはすべてを完全にコントロールしたいと考えていたので、これはそれほど驚くべきことではありません。ジョージ・ハリスンが、自分が参加していたプロジェクトにおいて、ユージン・ランディのような人たちからの音楽的インプットを許可したとはとても思えません。

ジョージとブライアンが思いついたことは間違いなく面白かっただろう。 特に、ジョージ・ハリスンのコラボレーションを促進するためにブライアンの1988年のソロ・アルバムの売れ筋になるだろうから。
そしてまたユージン・ランディはブライアンのキャリアを支配していた。彼ならきっと創造性を妨害する方法を見つけただろうと思います。

1988年までにジョージは音楽のレジェンドだけでなく、彼の「クラウドナイン」アルバムの絶大な成功と、The Traveling Wilburysとして知られるスーパーグループの誕生で関連するスーパースターでした。
ハリソンとブライアン・ウィルソンの両方のコラボレーションが行われなかったのは残念だ。 1988年のブライアンのソロキャリアは決してチャンスがなかった多くの例の一つです。
#beachboysbeatles101

Re: 幻の共演 - マービート (男性)

2023/05/11 (Thu) 03:53:23

この記事は驚きました。
こういう話があったというだけで夢みたい。
もし本当に実現していたら感動どころじゃなく失禁レベルです。
このロックの殿堂授与式が行われたのは1988年1月20日。
ジョージがアルバム「クラウド・ナイン」制作中から構想していたトラベリング・ウィルベリーズを実際に始動しようとしていた頃の話です。
それから約3か月後、1988年4月にトラベリング・ウィルベリーズは正式に活動を開始しています。
ブライアンはアルバムをまだレコーディング中でしたが、残念ながらタイミングが合わなかったんでしょうね。

ブライアンのアルバムには有名ゲストミュージシャンがたくさん参加していました。
ジョージとブライアンとのコラボレートが永続的に続くわけもなし。
ランディにとってジョージの参加をことさら拒む理由があると思えません。
ランディの肩を持ちたくはないですが、この記事は少し悪意が先行していますね。

奇しくもジョージと同じくトラベリング・ウィルベリーズのメンバーであるジェフ・リンはブライアンのアルバムに参加しています。
ジェフ・リンによると、レニー・ワロンカーからの要請を受けてのものだったそうです。
時期は「クラウド・ナイン」のプロデュースを終えて間もない頃、前年1987年の夏あたりだったそうです。
そうなると、レニー・ワロンカーがジョージにも話をしていれば...
あるいはジョージとブライアンの邂逅がもう少しだけ早ければ、共演が本当に実現した可能性もあったのではないでしょうか。

ジョージがブライアンに対してトラベリング・ウィルベリーズへの参加を打診した可能性も決してゼロとは言い切れません。
ブライアンの健康状態もジェフ・リンから聞いていたでしょう。
そうなればランディも慌てて当然。記事の内容もすべて腑に落ちます。
もっともランディがOKしても、間違いなくブライアンは参加を固辞したでしょうね。
もうジョージもランディもいないので真相は永遠に謎です。

ランディを解任した後も共演がなかったのはジョージにそこまで強い動機がなかったか、
あるいは当初のタイミングしかできないことだったのでしょう。
だとすれば、ブライアンのトラベリング・ウィルベリーズ・メンバー説は最も腑に落ちる自然な解釈となります。
ロマンのある話で良いですね。



記事の元になったインタビュー

————————————————————————

ブライアンのフェイスブック
2023年5月1日の投稿より

Once I was in the Malibu emergency room getting a weigh-in and this guy walked up to me.
He had curly hair and was on the short side.
“Are you Brian Wilson?” he asked.
“Yeah,” I said.
“ Hi, I’m Bob Dylan.” he said.
He was there because he had broken his thumb.
We talked a little bit about nothing.
I was a big fan of his lyrics, of course. “Like a Rolling Stone” was one of the best songs, you know?
And “Mr. Tambourine Man” and “It’s All Over Now, Baby Blue” and so many more.
What a songwriter!
I invited him over to my house for lunch the next day.
That was a longer conversation.
We just talked and talked about music.
We talked about old songs we remembered, songs before rock and roll.
We talked about ideas we had.
Nice guy.

Brian Wilson

ある時、マリブの緊急治療室で体重測定を受けているとその男が近づいてきた。
彼はカーリーヘアで背が低かった。彼は私に尋ねた。
「あなたはブライアン・ウィルソンですか?」
「ええ」と私は答えた。
「こんにちは。私はボブ・ディランです。」と彼は言った。
彼は親指を骨折したので治療に来ていたようだった。
そのとき私たちは差し障りないことを少しだけ話した。
私は彼の歌詞の大ファンだった。
「ライク・ア・ローリング・ストーン」は最高の曲のひとつだ。
「Mr.タンバリンマン」や「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベイビー・ブルー」など他にもたくさんあるね。
なんという凄いソングライターだろう!
翌日、ランチを一緒にしようと彼を自宅に招待したんだ。
そのときはもっと長い会話になった。
私たちはただ音楽について話し合った。
思い出の古い曲やロックンロール以前の曲についてね。
そして互いに自分たちの持っているアイデアについても話し合った。
彼はナイスガイだね。

ブライアン・ウィルソン

————————————————————————

この出会いがいつかは触れられていませんが、おそらくブライアンとボブ・ディランのツーショット写真が撮られた頃の話でしょう。
当時、ボブ・ディラン、トム・ペティ、ジェフ・リンというトラベリング・ウィルベリーズの三人がブライアンの元に集まっています。
そして ”スピリット・オブ・ロックンロール”の再レコーディングを行いました。
強い仲間意識があればこその共演でした。
そのとき何かしらブライアンにアプローチがあったとしても全く不思議はありません。
少なくともブライアンは限りなくウィルベリーズの一員に近かったことだけは間違いないでしょうね。



The Beach Boys - It’s Just A Matter of Time - マービート (男性)

2023/05/07 (Sun) 22:28:57

ブライアン・ウィルソンとマイク・ラヴ。
最強のパートナーにして最高のソングライティングチーム。  
ジョン・レノンとポール・マッカートニーのように二人の声がブレンドするだけでサウンドにマジックが起きます。
今は離れて活動していても二人が健在である限りビーチボーイズの屋台骨は残っています。
しかし、ブライアンはもうすぐ81歳、マイクは82歳。
健康に気をつけて幸せに過ごしてくれることを望んでいます。
そして、そう遠くない日にまた一緒に何かやってくれたら嬉しいな。

“It’s Just A Matter of Time ”

そんなビーチボーイズの二枚看板、ブライアンとマイクの二人だけで(サビの一節を除いて)歌いきった曲。
ビーチボーイズの長いキャリアでもこのパターンで歌われることは希少です。
(他に思い当たる曲は”When Girls Get Together”ぐらいでしょうか...)
そのせいで歌詞の響きはブライアンとマイクの関係を歌っているようにも聴こえます。
なんとなくビーチボーイズ版 ”Two of Us”といった趣きもあるような気がします。
曲想はシンプルながらブライアンらしいサウンドプロダクションが随所に光っています。
隠れたビーチボーイズ・マスターピースと呼びたくなるような一曲です。




歴史的価値があるレコーディング風景。
アルバム「The Beach Boys 85」のプロデューサー、
スティーヴ・レヴィン私蔵のビデオより。 








謹賀新年 - マービート (男性)

2023/01/01 (Sun) 00:00:34
















あけましておめでとうございます
世界はまったくヨシ!ではないけれど
希望を失わず前進あるのみ!

ヨシ!!

Monty Python - Always Look on the Bright Side of Life - マービート (男性)

2022/12/12 (Mon) 01:18:14

高校2年生のときモンティ・パイソンの『モンティ・パイソン・アンド・ザ・ホーリー・グレイル』という輸入盤レコードを買いました。
それは同名映画のサウンドトラックで映画の音源をそのままレコードに収録したものでした。   
そのほとんどは強い訛りのある英語の寸劇で何を言っているかさっぱりわからず。
このチンプンカンな輸入盤レコードを買ったことは今もって後悔しています。

当時、モンティ・パイソンのことはビートルズに絡んで何となく面白い存在だと知っていただけでした。
インターネットも何もない時代でしたし、日常で”モンティ・パイソン”という活字を目にすることも一切なし。
きっとビートルズや10ccのようなコミカルで凄いロックバンドだろうな!!と想像するしかありませんでした。 
それだけにレコードを見つけたときは嬉しかったです。
そして期待したぶんだけ落胆しました。

彼等はテレビや映画を中心に活動するコメディアングループでした。
90年代に入るとモンティ・パイソンと周辺の情報も一気にわかるようになり、後追いで少しずつそれらを追いかけて好きになっていきました。 
日本のごく一部の地域では「フライング・サーカス」が放送されていると知ったときは羨ましかったです。

音楽とは離れていたと思っていたモンティ・パイソンが実はいろんな曲を発表していて、
その中にはとびきり凄い曲もあるとわかったときは特に感激しました。

その曲とは “Always Look on the Bright Side of Life” 。
身体の苦痛はどうあっても耐え難いですが、
心理的な苦痛は心を見失わない限り気の持ちようで地獄を天国にすることもできる。
そう信じています。
しかし、死の間際にいたらそう思い続けられる自信はまったくありません。
この曲の凄さはここにあります。
“人生はすべてショーなのだから、死を前にしてもおそれることはない。”
何があっても前を向き生きていく、そして死んでいく。
この素晴らしいクソったれな碌でもない世界をおそれず生き抜くには最高のエールだと思います。
実際、それしか選択の余地はないのだから。
これは魂救済の歌です。

“Always Look on the Bright Side of Life”

Some things in life are bad
人生は悪いときもあるね
They can really make you mad
そんなときは心を狂わされるし
Other things just make you swear and curse
人を憎んだり悪態をつきたくなるよね
When you're chewing on life's gristle
だけど人生の苦渋を味わっても
Don't grumble, Give a whistle
グチをこぼさず 口笛を吹けば
And this'll help things turn out for the best
事態が良くなる助けになるかもしれないよ

And... Always look on the bright side of life
いつも人生の輝く方を見て生きていよう
Always look on the light side of life
いつも人生の明るい方を見て生きていよう

If life seems jolly rotten
しみったれた人生に感じたら
There's something you've forgotten
きっと君は忘れているんだ
And that's to laugh and smile and dance and sing
笑ったり微笑んだり 踊ったり唄うことを
When you're feeling in the dumps
どんなに落ちこんでいても
Don't be silly chumps
馬鹿な真似はしちゃ駄目さ
Just purse your lips and whistle
そんなときは唇をすぼめて口笛を吹こう
That's the thing
その調子だよ

And... Always look on the bright side of life
いつも人生の輝いている方を見ていよう
Come on !
やってみなよ
Always look on the right side of life
いつも人生の正しい方を見ていよう

If you′re stuck on the world stage
世界という舞台に立ちすくんでも
You've got some weirdos off your age
君には風変わりな仲間たちがついている
Everything is starting to go wrong
すべてが狂い始めているし
It′s too late to run away
逃げるのはもう手遅れだ
You might as well just stay
君はその場にいるべきさ
Especially if they play your silly song
特にそのバカげた曲を披露するならね

Always look on the bright side of life
いつも人生の輝いている方を見ていよう
Always look on the right side of life
いつも人生の正しい方を見ていよう

For life is quite absurd
人生は理不尽なことだらけ
And death's the final word
そして死は最後の言葉
You must always face the curtain with a bow
幕が降りるときには御辞儀をしなくちゃ
Forget about your sin
君が犯した罪は忘れてさ
Give the audience a grin
観客にニッコリ微笑むんだ
Enjoy it, It's your last chance anyhow
さぁラストチャンスを楽しもうよ

So always look on the bright side of death
たとえ死ぬときでも輝く方を見ていよう
Just before you draw your terminal breath
君が息を引きとる最期の一瞬まで

Life's a piece of shit
人生なんかクソったれ
When you look at it
まともに見ればね
Life's a laugh and death's a joke
人生は笑いで死はジョーク
It's true
真実だよ
You'll see it's all a show
すべてショーだとわかっていたら
Keep 'em laughing as you go
観客を笑い続けさせようよ
Just remember
だけど思い出して
That the last laugh is on you
最後に笑うのは君だよ 

And... Always look on the bright side of life
いつも人生の輝いている方を見ていよう
Always look on the right side of life
いつも人生の正しい方を見ていよう

Come on Brian, Cheer up !
なぁブライアン 元気出しなよ
Worse things happen at sea, you know ?
航海に災難はつきものじゃないか
What have you got to lose?
おまえが失うものって何がある?
You come from nothing
何もないところから来て
You're going back to nothing
何もなしに戻るだけ
What have you lost ?
失うものは何?
Nothing !!
なし!!

Nothing will come from nothing
無から生まれるものは何も無い
You know what they say ?
そんな言葉もあったよね?
Cheer up, you old bugger
元気出せよ こんちきしょう
Come on, Give us a grin
ほらニッコリ笑って
There you are, See?
そう そんな感じさ
It's the end of the film
映画はこれでおしまい
Incidentally, this record's available in the foyer
ちなみにこのレコードはロビーで売ってるよ
Some of us have got to live as well, you know
俺達だって生活がかかってるんだ
Who do you think pays for all this rubbish?
誰がこんなクズみたいなもんに金を払うか知らないが
They'll never make their money back, you know
きっとつぎこんだ金は戻らないだろうな
I told them, I said to him
俺は奴らにも彼にも忠告したんだ
Bernie, I said
バーニー 俺は忠告したぞ
”They'll never make their money back.”
「金は絶対に戻ってこないからな」って!

*Always look on the bright side of life
いつも人生の輝いている方を向いていこう

*Repeat


意訳 マービート










Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.